グランドピアノの中身がない事件


◆ 事件の内容

依頼人は,ピアノの調律師の仕事をしている方でした。

依頼人が先輩として尊敬していたX氏が,かつて,A社から自ら選定し,購入したうえ,調律したピアノが,A社に梱包されたまま,保管されていましたが,ピアノを預けたままX氏は亡くなってしまいました。

そのため,ピアノは,保管料の未払等もあり,X氏の相続人からA社が買い取ることになっていましたが,保管料のことなどで決着が付いていなかったため,最終的にA社の所有にはなってはいませんでした。

このような状況の中で,依頼人は,尊敬する先輩が自ら選び,調律したピアノをぜひ購入したい,と思い,A社に直接出向き,A社の代表者と交渉し,最終的にA社がこのピアノを買い取ったときには,A社から依頼人が買い取る,という約束をしました。

なお,依頼人は,生前,亡X氏が所有していたグランドピアノの調律作業も見せてもらいましたが,依頼人がピアノの買い取りを希望した際には,梱包されたままの状態で,依頼人は「梱包を解いて見せてもらいたい」と要望しましたが,「まだ最終的にA社の方で買い取ってはいない状況なので,梱包を解くことはできない」ということで,中身を見せてもらうことはできませんでした。

そのため,依頼人もA社の代表者も,亡X氏の所有したピアノの梱包を解いて,中を確認しないままでした。

その後,A社は,亡X氏の相続人から,ピアノを正式に買い取り,令和元年7月に,A社と依頼人との間でも,売買代金を350万円とし,運送料は別として,契約が成立しました。

依頼人が売買代金をA社の銀行口座に振り込み,これを確認し,A社は,A社と提携している運送業者に依頼し,依頼人宅にピアノを搬送してくれました。

ところが,自宅で待機していた依頼人の妻が,ピアノを予定の位置に運び込んでもらい,その場でピアノの蓋を開けたところ,そのピアノには鍵盤もアクションも入っておらず,要するに,ピアノの中身はなく,外側だけが送り届けられた状態でした。

驚いた依頼人の妻が,A社の代表者に電話を入れ,事実を伝えたところ,「こちらには中身はありません」「亡X氏のご自宅にあるんじゃないですか?一応探してみますけど」との応対でした。

その後,A社においても,中身を探したようでしたが,見つからず,依頼人も亡X氏の相続人とお話しし,そのままになっていたX氏の自宅を探したり,X氏の友人に連絡をしたりして,ピアノの鍵盤やアクションを探し回りましたが,とうとう見つかりませんでした。

このような状態で,依頼人は私の事務所を訪ね,亡X氏が選んで調律したピアノの中身がないのであれば,ピアノを買った意味がないので,A社に引き取ってもらいたいと思っているが,依頼人が話した限り,A社の代表者は引き取るつもりはない,ということで,なんとかならないか,という相談でした。

 

◆  事件の解決

(1)私は,裁判で法的主張として,改正前の民法95条(錯誤無効)及び民法570条及び同第566条1項に基づく解除(旧法)の主張を行いました。

(2)これに対し,被告は,被告の責任について,

①錯誤無効の主張については,当方に「重大な過失」がある

②瑕疵担保責任については,当事者間の売買契約書(ピアノが送付する以前に一方的に相手方から送られ,当方はこれに署名押印しています)の「買主は受け取ったピアノについて,買主の責任としてキャンセルは認めないものとする」との合意があり,瑕疵担保責任は除外されている

さらに,瑕疵担保責任について,条文は「契約をした目的を達することができないときは」と規定しているが,本件ピアノにアクションや鍵盤がないことは,瑕疵修補できない過失ではないから,解除はできない,なぜなら,本件ピアノの価格は,約700万円であり,アクションや鍵盤を購入しても約130万円程度であるから,本件ピアノを350万円で買い取った原告は,他からアクションや鍵盤を購入したとしても,480万円程度の出捐であり,逆に220万円の利益を得ることになる

というような主張をしてきました。

(3)錯誤無効については,現在では,法律が改正され,錯誤は無効ではなく取消ができる,ということになりました。

また,本件のような場合,買主に「重大な過失」があるとしても,売主が買主と「同一の錯誤」に陥っていたときは,錯誤による取消ができる,と規定されています。

特にこの場合,売主を保護しなければならない理由が無いからです。

当時はまだこの規定はありませんでしたが,「共通錯誤」として,買主に重大な過失があったとしても,特に売主を保護する必要はないことから,買主に重大な過失があったとしても無効は主張し得るという判例があり,これを被告の主張に対して反論しました。

(4)売買契約書に記載されている記載は,明確に瑕疵担保責任を排除するものとは解されず,本件のような場合にまで適用されるとするのであれば,その契約条項自体,信義則に反し無効であると主張しました。

(5)さらに,被告はピアノの専門業者として,アクションや鍵盤がなかったとしても,外側だけで570万円程度はするものだと,さかんに主張していました。そのため,私の方でピアノの買取業者数社に問い合わせたところ,中身のないピアノを引き取る業者はおらず,唯一T社だけが,5万円で引き取ってくれる,ということでした。

(6)このようなやり取りの結果,裁判官が中に入り,被告を説得し,ほぼ売買代金に近い金額を返金してもらい,本件ピアノは被告の負担で送り返す,という和解が成立しました。

 

◆ 弁護士のコメント

(1)通常,ピアノの売買で,中身がないまま買ってしまうということは起こりえないことですが,本件においては特殊な経過があり,事件に発展してしまいました。

最初,被告の方は,絶対に買い戻しはしない,と極めて強い姿勢でしたが,常識的に考え,このような売買が有効に成り立つのでは,お天道様が許さないと思いました。

(2)結果,ほぼ原告の希望通りの結果となり,原告夫婦には,大変喜んでもらえました。

このように勝って当たり前の事件であっても,原告夫婦にとっては,裁判を起こすまでも大変な思いをして裁判に踏み切り,裁判に勝つまで不安な日々を送っていたようでした。

私としても裁判を起こすことが,一般の市民にとっては,仮に勝ったとしても大きな負担になることを改めて知らされました。

(3)本件ピアノの売買は,令和元年(2019年)7月29日に行われています。従って,錯誤については民法の旧95条,瑕疵担保責任については民法の旧570条及び566条1項が適用されましたが,令和2年4月1日以降は,錯誤については改正された民法95条,瑕疵担保責任については民法566条が適用されることになります。