誤嚥事故


◆  事件の内容

(1)老人ホームにおいて,83歳の男性が誤嚥事故を起こし,その後,病院に運ばれ,誤嚥性の肺炎を起こし,一旦は回復したものの,肺炎を再発し死亡したという事案です。

亡くなった方のご家族に弁護士がついて,損害賠償を求められ,私は老人ホームから依頼を受けて交渉を行うことになりました。

(2)本件の経過

① ご本人は,83歳と高齢のうえ,以前からパーキンソン病を患い,飲み込みの力も弱く,7月に事故が発生しましたが,その年の3月に一度,「誤嚥性肺炎」ということで病院に入院し,退院後,別の老人施設に入所していました。

② 前の施設から本施設に移るに際し,ご本人の「嚥下評価報告書」が交付されており,「トロミオフで可能と思われるが,副食は刻みで,食塊形成がされにくく,口腔内でばらばらになってしまうため,副食はトロミ付けを継続」との記載がなされていました。

③ 本施設に入所後,ご本人から「主食を粥から軟飯にしてほしい」との希望がなされ,検討した結果,6月29日の夕食から,主食については,粥から軟飯に変更して提供していました。

④ 事故当日は,入所者10名が3つのテーブルに別れて食事をしていました。

見守りは介護福祉士1名でしたが,ご本人は,介護福祉士から一番見守りやすい場所に座っていました。

全員が食事を始めて15分程経過したところで,ご本人が,手で胸を叩く動作をしたため,介護福祉士が「大丈夫ですか?」と尋ねると,軽くうなずいたので,介護福祉士としては,問題ないものと判断しました。

しかし,その5分後,全員が食事を終えた様子であったことから,介護職員がご本人に,服薬してもらうために「お薬を飲みましょうか」と声かけしたところ,反応がなく,口から唾液が垂れ,首が脱力している状態であることが確認されました。

⑤ 施設としては,直ちに吸引器による吸引を開始する一方,発見から8分後に救急車の要請を行いました。

⑥ 発見から15分後に救急車が到着し,病院にて治療が行われました。その結果,「誤嚥による窒息で多量の食残があり,異物除去と気管挿管を行い,意識は回復したが,今後,誤嚥性肺炎を合併すると状態の悪化が予測される」「ただ,持ちこたえられれば,元のように回復する可能性もある」との説明がなされました。

⑦ ご本人は,一旦は回復したものの,入院から1ヶ月弱で,肺炎のため死亡しました。

 

◆ 事件の解決

(1)老人施設においては,高齢者の誤嚥や骨折は,極端に言えば,栄養は胃ろうで注入し,骨折は老人が身動き出来なように拘束するというような手段を執らなければ,全く無くすということは出来ないようです。

しかし,このようなことが許されることではなく,施設としては,ご老人の意向を尊重しつつ,十分配慮し,誤嚥や骨折を起こさないように見守り,配慮することが必要となってきます。

しかし,施設側としても,一人一人に24時間体制でつきっきりの介助をすることは,事実上できないことから,どのような場合に施設側の法的な責任が問われるかが問題となります。

(2)本件において,施設側における問題点

① 食事中の人員配置等について
② 軽度から中程度の嚥下障害が指摘されている入所者に対し,本人の希望があるからといって,主食を粥から軟飯に変更したことの是非
③ このような変更について,ご家族の同意を得る必要がなかったか
④ 食事中の見守り体制について
⑤ 事故発生の認識の遅れや認識後の対応に問題はなかったか
⑥ 本人の家族に対する配慮,対応は十分であったか
⑦ 施設及び介護職員の法的責任

これらの点が,施設として検討しなければならない問題と考えました。

(3)調停申立と調停による解決

① 施設側も,亡くなったご本人のご家族に対し,責任があるのであれば,出来る限りの誠意を示したい。

但し,どうしても発生せざるを得ない誤嚥事故に関し,どこまで法的責任をとらなければならないのかをはっきりさせ,今後の施設の対応,介護職員の教育にも活かしていきたいとのことでした。

② そのため,亡くなったご本人のご家族を相手方として,調停を申し立てましたが,その際,当方から積極的に,本件における事実関係を明らかにすると同時に,問題点も列挙したうえで,法的評価としての過失の評価については困難な問題があることを具体的かつ積極的に明らかにしていきました。

すなわち,担当職員の誤嚥の認識についての過失を否定するのではなく,過失の有無についても,次のように書かせてもらいました。

「介護士は,本人が胸を叩く仕草をした時点で,誤嚥を予見し,これを回避する行動を取るべき義務があったとする見方もあり得る。しかし,『大丈夫ですか?』と声かけしたのに対し,本人が頷く動作を行ったということであれば,その時点で,それでも誤嚥の危険性を具体的に予見し,本人の食事を中止させ,口の中を確認するなどの行為までを要求すべきかは,入居者の個人の尊厳と介助行為の程度や範囲との問題があり,介護士の対応に法的な過失を認めることができるか否かについても,微妙な問題がある」
というように記載しました。

③ このように,施設側としても,事実関係をできるだけはっきりさせ,問題点があるのであれば,施設側としてもこれを率直に認めるという態度で対応しました。

その結果,請求金額は,当初請求された金額の1/3程度ということになりましたが,再発防止のために,施設側として,相手方に対し,次のような約束をさせていただきました。

ア 入所者が入所する際は,入所者にとって最善のケアプランを速やかに作成する。
イ 食事内容の変更については,専門職員を入れたうえで協議を行い,家族に説明し,承諾を得る。
ウ 誤嚥の危険性がある入居者に対する見守り体制の強化
エ 誤嚥事故の未然防止及び事故発生後の対応につき,職員の教育の徹底
オ 万一,事故発生の場合には,誠心誠意,入所者のご家族の気持ちを尊重する対応を行う。
このような内容を調停条項の中に入れさせていただきました。

 

◆ 弁護士のコメント

本件においても,事前に,食事内容の変更について,高齢者となった本人が希望しているからというだけではなく,ご家族に本人の希望を伝え,ご家族とも十分話し合ったうえで変更する等していれば,所いわゆる「事件化」はしなかった事案でないかと思っています。

また,事故後も,施設側として,ご家族に対する配慮が十分なされていない点があり,その点もご家族の怒りを買い,事件化してしまったものと思っています。

しかし,本件事故は,施設側としても,事実を隠すのではなく,事実関係を積極的に明らかにして,今後の事故防止策に役立てたいという積極的な考え方があり,また,この事故を機に,職員教育も行いたいという姿勢があり,この点は弁護士としても極めて評価することが出来ました。

したがって,調停にもこのような姿勢で臨んでいたことから,亡くなったご本人のご家族も施設側の姿勢をそれなりに理解していただき,早期解決を図ることができました。